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也田貴彦blog

おもに文学やお笑いについて。

オールタイム漫才ネタベスト10 ⑤笑い飯「音真似」

少々乱暴に言えば、2001年から10年続いたM-1グランプリ笑い飯のための大会であった。彼らは2002年にいわゆる"ダブルボケ"漫才で決勝の舞台に登場し、2003年に「奈良県立歴史民俗博物館」のネタで旋風を巻き起こしたが、惜しくも優勝は逃した。この2003年の印象があまりに鮮烈であったため、その後毎回決勝進出してくる笑い飯に対する、お客さんの、審査員の、視聴者の期待はいやが上にも高まった。だからこそ生半可なネタだと「あの2003年のネタを超えてはいない」「笑い飯はこんなものではない」という意識が働いてしまう。そんなハードルを超えようと奮闘する彼らの2004年から2010年までのM-1でのネタ作りの変遷の歴史についても詳細な解説を加えたいところだが、今回は割愛する。

 

笑い飯のスタイルは"ダブルボケ"と言い習わされているが、その言葉だけでは彼らの特異性をじゅうぶんに指摘できているとはいえない。彼らがダブルボケを手段として体現していたのは"漫才の大喜利化"である。例えば「俺が医者やるからおまえ患者やって」で始まるような漫才コントの場合、医者と患者の会話で物語はどんどん前に進んでいく。笑い飯も「俺が○○やるからおまえ××やって」という導入で始めることは多い。しかし彼らは物語を進めない。テーマやシチュエーションを固定しそこでボケられるだけボケ倒す。焦ってストーリーを紡ごうと先を急ぐほかの漫才師たちを尻目に、「これが楽しいんだからここにいればいいのに」と同じ場所に留まって遊びの限りを尽くす。それが笑い飯だ。言い換えればこれは大喜利である。ひとつのお題に対しどんどん答えを出すというのを、フリップの代わりに自らの演技でやっているのだ。革新的というだけでなく、単純にボケの手数が増えるため、短い枠の中では実利的・経済的でもある。

 

この笑い飯のスタイルがスマッシュヒットしたために、2000年代中期には彼らのやり口を模倣する若手漫才師が急増した。このブログの以前の記事で麒麟の「小説風漫才」も他の芸人による模倣にさらされたと書いたが、笑い飯はその比ではなく、若手たちの追従の勢いたるや目を覆いたくなるほどだった。真似をするコンビたちは二重の意味で悲惨である。ひとつには模倣のためにみすみす自分たちの個性をなくしているということ。もうひとつには、こういった大喜利形式のネタではボケがあくまで羅列的・箇条書き的なものになるため、ネタをひとつの物語として構成する力が養われないということ。結局笑い飯の手法をものにできるのは笑い飯だけなのである。真似をするにしても、笑い飯のアホくさくオリジナリティ溢れる題材選びを見習ってほしいものである。「頭が鳥で身体は人間の英国紳士風の男」「サンタとケンタウルスの混ざった怪物」「ガムの妖精」「ハッピーバースデーの歌の歌いだしのタイミングが分からない」…

 

さて前置きが長くなってしまったが、今回のオールタイムベストには彼らのなかではあまり知られていないであろうネタをチョイスした。鳥羽で聞こえてくるいろいろな動物の鳴き声や花火、汽笛の音を口で真似する。しかし普通にやってもうまくはいかない、「プロは手を使うんや!」しかし手を使ったせいで余計下手になる…これを繰り返す。声や音の種類を取っ替え引っ替えして、延々繰り返す。後半になると手で変顔をつくって笑わせようというどうしようもないおふざけも入ってくる。しつこく、幼稚で、彼ら自身が楽しんでいるというのがよく伝わってくる。なおかつ後半へのアホさのクレッシェンドもきちんと計算されている。彼らの良さが詰まった、数あるネタの中でも出色の作品だと思っている。

 

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