也田貴彦blog

おもに文学やお笑いについて。

東京観光 〜マグリット、ケイティ・ペリー、ハシビロコウ〜

週末は嫁と東京観光。新幹線で駅弁、海鮮丼。食後はほぼ睡眠。

品川からホテルのある溜池山王へ。ホテルは国会議事堂を見下ろす部屋。少し休憩してから乃木坂まで歩く。途中で「100%DANSHAKU」というフライドポテトの屋台で、細い芋を格子状に重ねてワッフルみたいにしたポテトを買い、食べ歩く。フライドポテトがベルギー発祥の料理だというのを嫁から教わる。六本木ヒルズを横目に見ながら、国立新美術館へ。マグリット展。中学生ぐらいの頃から好きだったが、こういった大規模な回顧展に行くのは初めて。

マグリットはあくまで即物的な絵を描く。好んで描く対象物は空や鈴や岩などどこにでもある事物だが、突拍子もない場所に大胆に配置したり、縮尺をいじったり、見える部分と見えない部分を反転させたりすることで、平凡であるはずの物たちが実は隠し持っている存在感、不気味さを浮き彫りにする。そうして出来上がった絵のなかでは、鳥の身体が雲の浮かぶ空の模様になっていたり、靴が素足そっくりだったり、数えきれないほどの山高帽の男たちが宙に浮いていたりしている。誰でも一目見てここが変だと指摘することができる。この絵はどう見ればいいんだろうとか、何を描いているんだろうとか、どんな意味があるんだろうと悩む必要はない。ただそこに生じている不思議さをそのままに受け止めるだけで充分に楽しめる。この単純明快さが俺は好きだ。

事実、マグリットは自分の絵における観念や象徴性を否定し、見る者による分析や解読をも拒否している。見る者に思考を強制しない、というよりむしろ思考を捨てるよう促す。小難しさを削ぎ落とした形で直接感覚に訴えかけ、時に恐怖を、時に笑いをかきたてながら、現実世界に対する新たな視点・解釈を提示してくれる。僕などからすればそれは”ボケ”であり、各々の作品を見るたびに”ツッコミ”を入れたくなるような代物だ。マグリットは空間や事物の構造・関係性を解体するようないくつもの革新的なアプローチを試しながらも、摑みどころのない抽象画ではなく、誰でも即時的に驚いたり怖がったり笑ったりツッコミを入れたくなったりするような捉えやすい絵で勝負しており、そこが俺には気持ちがいい。そして彼の発想の数々は奇形の種子となって、美術やデザインはもちろんのこと、文学や音楽、演劇やお笑いなどあらゆる表現形態の地中に植え込まれ、歪みねじれた妖しいモダニズムの花々を、今なお咲かせ続けていると俺は思う。

あと展覧会の印象としては、若い女性客が多かったように感じた。マグリットが好きなんていうのは中二病の傾向のあるうだつのあがらない男連中(俺も含む)ばかりかと思っていたので少し意外だった。デザイナー志望の方も多いのかもしれないなどと思ったり。

  

電車を乗り継ぎ国立競技場駅へ。東京体育館ケイティ・ペリーの来日コンサート。嫁がファンで、今回東京へ来た一番の目的はこれ。客層は若い女性だらけだが欧米人らしき人たちもたくさんいる。グッズ売り場でタオルとパンフレットを購入。

前座はThe Dollsという、DJとバイオリニストというちょっと珍しい2人組によるクラブミュージックのパフォーマンス。これが30分あり、お客さんが暖まったと思いきや、機材トラブルでそこから1時間待ち。待ちくたびれたところでようやく開演。ケイティ・ペリーがステージにせり上がってきて、「Roar」からスタート。1年半くらい前にはベストヒットUSAで何週もずっと1位だった曲なので、これを聴くと2年前の引っ越したばかりの生活やらケアンズ旅行やらを思い出す。明確な世界観、サビの分かりやすさと盛り上がり、耳に残るリズミカルな吠え声。派手なMVを含め、万人受けするエンタメとして本当によくできた曲。

曲の合間のMCタイムでは、ケイティに日本語を教えてあげる人を、お客さんの中から1人選んでステージに上げるという流れに。選ばれたのは、ケイティの舞台衣装に似せた手作りの服で参戦していた21歳の女子大学生。ケイティとこの子がステージ上で、携帯でツーショット写真を撮るという展開になると、きゃーーー!!!と会場中からものすごい歓声がわき起こる。名も無き一ファンとケイティがツーショットの写真を撮るだけで、客がこの日一番とも言える盛り上がりを見せた。この現象は興味深い。きっとファンたちは皆、無意識的にこの女子大生に自己を投影し、共感を越えて一体化することで、まるで自分自身がケイティと写真を撮ったかのような疑似体験を得たのだろう。1人のファンが1万人の客の代表となり、全てのファンの分身へと瞬時に姿を変える。ファン心理っておもしろい。

ケイティ・ペリーはクイーンオブポップともてはやされながらも、お高く止まった感じがあまりしないので好感が持てる。もちろんそういうイメージでいこうという戦略でもあるのだろうけど。ファンとの距離が近いというのは、ケイティにそれまでの歌姫たちとは異なる現代性をもたせるうえで重要なファクターになっている感じがする。

ライブの演出としては、Walking on the airの白いカーテンと風を使った振り付けが面白かった。俺が個人的に好きなThis is how we doも聴けてよかった。少し気になったのは、ボーカルの歌声がすでに入っている曲がいくつかあって、ケイティが全てを生歌で聴かせるわけではなかったこと。ライブにあまり行かないのでよく分からないが、それはそういうもんなのか。

 

さて二日目はホテルで充実のビュッフェの朝食を楽しんだあと、上野動物園へ。駅のコインロッカーが空いていなく、動物園までキャリーバッグを転がしていく羽目に。4月にしては異様なまでの暑さでびっくり。すぐにジャケットを脱ぐ。

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パンダはすぐに見る事ができた。オスが一頭。ご丁寧にギャラリーの目の前で胡座をかき、笹を食べている。「人間どもよ、これが見たいんだろ」と言わんばかりに、観客に見せつけるように食べまくる、非常にサービス精神旺盛なパンダ。笹の棹に齧りつきバキバキとへし折るパワフルな様子はまさに「大熊猫」という感じ。食べながら、恥ずかしげもなく黄緑色のうんこを放り出す。

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余裕たっぷりの出で立ちで、完全に人間どもを下に見ている。

パンダから離れ、鷹や鷲や猿やホッキョクグマカピバラを見る。

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こちらはオグロヅル。首を真後ろへ向けて、自分の胴体に顎を預け休憩している姿が愛らしかった。片足一本で立っており、近くにいた若いお母さんが「体操のお兄さんみたいだね!」と子どもに言っていたが、何か違う気がする。

さて今回上野動物園で俺が最も会いたいと思い、胸躍らせていたのはハシビロコウ。アフリカの鳥で絶滅危惧種らしいが、ガイドブックを読んでいて、その目つきの悪さとふてぶてしさに一気に虜になってしまった。下の写真では分かりづらいが、世の中に何一つ楽しみを見いだしていないような、消える事のない静かな怒りを呈した顔。体毛がすみれ色というのも渋くていい。

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上野動物園ではめったに動かない鳥として有名らしいが、いざ檻に近づいてみると、運良く、嘴で羽根の下あたりを痒そうに擦る様子を見る事ができた。虫に刺された脇の下をぼりぼり引っ掻くおっさんのようだった。

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グッズショップで購入したハシビロコウのぬいぐるみ。嫁からは「数ある動物のぬいぐるみからこれを選ぶような男は、絶対にモテないよ」と指摘される。

 その後、不忍池近くの老舗洋食店「上野精養軒」で昼食。入ってから知ったのだがTBSの日曜劇場「天皇の料理番」のモデルとなった料理人もこの店の出身らしい。よもやものすごい高級店かといささか心配になったが、ランチの値段はいたってリーズナブルで安心した。

まだまだどこかを観光して東京を満喫してから帰る予定だったが、二日連続で歩き回り疲れすぎたため、夕方には東京駅へ。夫婦ともに体力のなさを嘆く。東京駅一番街のキャラクターストリートでぐでたまの人気に驚く。ギャレットポップコーンを買おうとしたら50分待ちでこれまた驚き、断念。みんなよくやるよ。食にあまりこだわりのない俺には、行列に何十分も並んでまでこの食べ物を食べたい!という思いがいまだに理解できない。新幹線に乗車してすぐにコンタクトを外す。目が真っ赤になっていた。

言葉の曲線を伸ばして心理との距離を詰める。

抽象化された言葉は手に負えない。「楽しい」も「悲しい」も「嬉しい」もよく分からない。「愛」や「心」や「善悪」や「美醜」となるともっと分からない。例えば小説を読んでいても、あまりに抽象的な単語が多く出てくると頭がついていかなくなる。最近読んだもので言うとジュネ「泥棒日記」は抽象名詞が頻発するので苦手だった。逆にボラーニョ「2666」は登場人物の心理の解説が少なく、出来事と描写を淡々と書き連ねていく文体がすごく好みだったし、ソローキン「親衛隊士の日」も、物や人の描写の羅列が随所でアクセントとなってくるのが愉快だった。小説を自分で書くときも同じで、俺は具体的なエピソードや描写でできるだけ多く語りたい。というかそもそも物語を抽象化するような言葉を武器として持っていない。この文章で何を表現しているのかとか、この文章のテーマは何かなどと考えながら書いたことはないし、聞かれても答えられない。だから俺は評論とか批評の力が壊滅的にない。

 

認知症になった祖母は、老人ホームで描いたぬり絵を自宅の壁に何枚も飾っていた。子どもの作品のような塗り絵の数々を指差して、「仕事でこれ描いとるんやわ」と言っていた。老人ホームの職員にこれは仕事だと教え込まれたのか、あるいは祖母が勝手に仕事だと思い込んでいるだけなのかは分からない。日常生活を満足に送れないからこそ毎朝老人ホームへの迎えの車に乗せられている身分だというのに、自分は社会人として元気に仕事へ行っているだけだと祖母は信じきっている。当時中学生だった俺は、祖母の言葉を聞いて胸のあたりが熱くなった。このときの俺の気持ちは一番単純化した言葉でいうと「悲しかった」となるのだろうが、それでは曖昧すぎて、俺個別のものであるはずの感情が一気に平凡なものに変わってしまう気がする。「胸が締め付けられるようだった」などという紋切り型の表現もあるが、俺の感じでは締め付けられるというのとは少し違った。なんとなく胸の内側を熱いジェル状のかたまりがゆっくりと這っているような感じだった。だがこの表現も合っているかどうかよく分からない。

 

心理の動きを言葉にぴったりと当てはめることなどできない。それなら割り切って、心理など一切書かなければいい、少し前まで俺はそう思っていた。でもそれは割り切っているのでなく作者として楽をしているだけではいかと最近思い直した。うまく言葉にできないにしても、心の動きが身体の動きと同じく確かに実感として存在しているのであれば、それをなんとか言葉で表そうとするのが本当だという気がする。でも「悲しかった」や「胸が締め付けられるようだった」では駄目だ。個別の心理を現す言葉は個別の、具体的なものでなければおかしい。

 

こういうことを考えていると高校の数学で習った漸近線という概念を思い出す。y=1/xの曲線はどんどん伸ばしていくとx軸とy軸に限りなく近づいていくが決して接することはない。このときのx軸とy軸を漸近線というらしい。人間の心理の動きというのは、言葉という曲線では絶対に接することのできない漸近線だ。けれども心理との距離が限りなくゼロに近づけるように言葉の曲線を伸ばすことはできる。普遍的な作品は広い共感を呼ぶと言う。広い共感は「悲しかった」や「胸が締め付けられるようだった」などと簡単に書いてしまう小説からは決して生まれない。優れた小説家であれば言葉の曲線を漸近線の方向へ素早く伸ばすことができるのだろうが、俺はああでもないこうでもないと必死に頭の中のいろんな場所を覗き込みながらゆっくりゆっくり曲線を伸ばすことしかできないので遅筆になる。でもこういう遠回りが誠実な作品を書くための一番の近道だとこのところつくづく思う。なんだかこの記事の後半は「そんなの当たり前じゃないか」と言われそうなことを延々書いただけのような気もするが、こんな当たり前のことに気づくのに俺はすごく時間がかかった。

不条理であって不条理でない話

池澤夏樹個人編集の世界文学全集「短編コレクションⅡ」を読み進めている。小説を書くうえで大切な技法とかエッセンスのようなものはそれこそ数えきれないくらいあって、優れた長編はそれらを取捨選択し混ぜ合わせながら構築されていくのだろうけど、優れた短編の場合は、そういった技法とかエッセンスのうち作者が特に目玉として選んだものを虫眼鏡で拡大しながら読者に提示してくれる感じがする。この「短編コレクション」に収められている作品はどれも色合いが異なっていて、世界各国の一流シェフの料理を一皿ずつ味わうような贅沢な楽しみがあるわけだが、そんななか気になったのはフリードリヒ・デュレンマットの「犬」という作品。

 

構造としてはきれいに起承転結に分解できる。

【起】ある町にやってきた"ぼく"は、街角で聖書の文句を唱えるぼろ服の男を見かける。何度か彼に出くわすうちに、その足下には硫黄のような黄色い眼をした、恐ろしい漆黒の巨大な犬がいつもいることに気がつく。"ぼく"は次第にその男とお供の犬の奇妙なつながりが気になっていく。

【承】ある日、説教を終えた彼は"ぼく"のほうに近寄ってきて、家まで送ってほしいと頼んでくる。男の家には一人の娘がいた。すぐ眠ってしまった男の傍らで、娘は"ぼく"に説明する。父は富豪だったが人びとに真理を告げ知らせるために他の家族を捨てたこと。ある晩父が説教をしはじめると、この犬が突然家に入ってきたこと。そして彼女はこの犬をいつも怖がっているのだということ。「でも今度は事情が変わったわ。あなたがいらして下さったんだもの。これであの犬を笑ってやれるわ。」娘は"ぼく"がこの家にいつかやってくるとわかっていたと言う。「わたしと結婚式の夜を祝うためよ。わたしたちは男と女になって並んで横になるんだわ」こうして"ぼく"と娘は結ばれ、交際が始まる。

【転】ある日"ぼく"が自宅で薪をくべていると、娘が突然やってきて「あの犬を殺してちょうだい」と頼む。自分だけでなく父も本当は犬をいつも怖がっていたと分かったのだと娘は言う。父は犬を怖れてマットに寝たまま身動きできず、お祈りひとつできなくなってしまったのだと。"ぼく"は自宅の戸棚からピストルを取り出してあの家へ走るが、ひたすら前へ急いだので娘をあとに取り残してしまう。ひとりで男の家へ辿り着きドアを蹴破ると、ちょうどあの恐ろしい犬がガラスを飛び散らせ窓から消えるところだった。床には犬にずたずたに嚙み裂かれ、黒い血だまりのなかの白い肉塊となった男が横たわっていた。

【結】 "ぼく"は恐怖に震えながらも、途中ではぐれた娘を捜し回った。しかし彼女はどこを探しても見つからず、警官が捜索する犬もまったく姿を現さなかった。三日後、なにひとつ希望もなく疲れきった"ぼく"は部屋に帰った。下の通りに足音がしたので、何気なく窓の外の闇に身を乗り出してみた。通りの向こうの街路樹に添って、あの娘が静かに音も立てずに歩いて行った。その隣にはあの硫黄のような黄色い眼をした巨大な犬が並んでいた。

 

物語の大事な部分で、「なんでそうなるのか」が説明されないという特徴がある。

例えば娘は"ぼく"がいつか自分の家にやってくるとわかっていた、それは自分との結婚式を祝うためだと言う。いろんな疑問がわく。なぜ"ぼく"でなければいけないか?なぜ娘は分かっていたのか?なぜ結婚しなければならないのか?あまりに唐突すぎないか?しかしひとつも説明されないままに"ぼく"は娘と結ばれる。そして何と言ってもラスト。犬が本当に怖い、犬を殺してほしいと言っていた娘が、最後にはまたあの犬と一緒に並んで街を歩いている。自分の父を噛み殺した犬と一緒にだ。これも理由は明示されない。

 

話は少し変わるが、俺は説明する小説よりも描写する小説が好きだ。簡単には説明できないことを描くのが小説だと思うし、それに出来事と心理の因果関係なんて説明できるほど単純でない場合も多い。訳知り顔で登場人物の心理や言動の道筋を語れるほど作者は全能ではない。じゃあいっそ物事の因果関係を極端にすっとばしてしまえ!と吹っ切れると、主人公が朝起きると突然虫になっていたり、理由もなく足からかいわれ大根が自生してきたりする小説が生まれる。

 

しかしカフカらが発明した不条理という方法は、人間の実存をしっかりと見つめることなく表面上の形式だけを安易に真似ると、"なんでもあり"の悪臭を漂わせやすい。なんでもありは方法として難しいことではないから作家のやるべきことではない、と俺は思う。先人たちの発明を、自分のなんでもありの泥沼に強引に引っ張り込んではならない。そうしないためには、漫然と不条理な状況を描くのではなく、そこに何らかの新たなアプローチを付与する姿勢が不可欠だろう。そうやって文学の領域を、自分独自のやり方でわずかでも拡げようとしなければ作家ではない。その点、このデュレンマットの「犬」は不条理文学の新たなバリエーションを提示しているようにも見える(といってもこれも1940年代の作品なのだが)。

 

この作品では聖書の教えを説く父親の存在や、その教えを真理であると完璧に信じている娘の存在、つまり神にまつわる雰囲気が強力に作用し、不条理なことでさえ納得させられるような不思議な気流が出来上がっている。神の啓示や導きに理由はない。神を信じる者はその理由なき導きに従うより他にない。以下に引用する箇所は、この作品を読み解くにあたり特に示唆的である。

 

ーー「きみのお父さんが伝えているのが真理だと思うの?」とぼくはたずねた。「真理ですとも」と娘は言った。「真理だということはいつだって分かっていたわ、だから父についてこの地下室まで来ていっしょに住んでいるんだわ。でも真理を告げ知らせると、犬までやってきてしまうとは知らなかったわ」ーー

 

娘にも理由は分かってはいない。なぜ犬が来たのかも、なぜ"ぼく"が結婚相手としてやってくるのかも、なぜ父を殺した犬と離れることができないのかも。しかし彼女は理由を欲してなどいない。有無を言わさぬ神の導きによって、必ず"ぼく"がやってくることは分かっているし、絶対にその"ぼく"と結婚することになる。そして真理を告げ知らせたのだから犬が来たのであって、あれほど恐ろしい犬とまた一緒に暮らすようになるのも真理のなせる業、仕方のないことなのである。だからこれはもう不条理とさえ言えないのかもしれない。そもそも神と神を信じる者にとっては不条理なことなど何一つ存在しない。デュレンマットは不条理な物語を書きながら、最も理にかなった文学を作ったのだとも言える。

小説に立ち向かうための手がかり

2年以上、同じ小説を書いている。

ほぼ全体像はできてきてあとは細部の推敲という状態だが、原稿用紙換算で約300枚、多いように見えるかもしれないが2年かかってこれだけというのはもちろんプロの作家ではお話にならない枚数である。

小説を書いていると、気をつけていてもどこかで「小説的」な文章を書いてしまう。本当は小説的な文章なんてものはない、どんな文章でも許されるのが小説であるはずなのだが、自分が読んできた数々の小説たちの牽引力があまりに強いので、どこかでよろめいて、既視感のある型らしきものに脚を踏み入れてしまう。

フィクション、ストーリー、プロット、これらの言葉は多かれ少なかれ型を孕んでいる。俺は書きたいアイデアがあればスマホにメモをするけれども、書きたいこと全部を小説に盛り込もうとすれば、フィクションだとかストーリーだとかプロットといった型の磁石が持つ引力に、全部背を向けて全力で逃げなければならない。しかしその引力が効かないほど遠くへ走り去ってしまうと、もはや自分の書く物はただの思いつきの羅列か支離滅裂な断片の貼り合わせになり、一個の作品としての強度をすっかり失ってしまう。俺が好きな小説は、フィクションやストーリーやプロットという「小説的」な磁力が発生している場所で、その磁力に背を向けながら必死に踏ん張っているような作品だし、俺自身もいずれはそういう小説を書ける人間になりたいと思っている。

そうやって磁場のなかで踏ん張る以上は、書きたいことであってもこの作品のなかにはちょっと盛り込めないなという要素がどうしてもこぼれ落ちてくるもので、それじゃあそれは次の作品で、となっても俺の場合は2年以上もひとつの作品だけを書いていてなんとなくそれが完成するまでは別の作品に移りたくないから、こぼれ落ちた書きたいことをいつになったら書けるのかという問題が出てくる。だいたい2年も経ったら書きたいことも別に書きたくなくなっている場合がほとんどではないか。それではあまりにもったいないということで、このたびブログを新たに始めることにした。ツイッターもやっているがツイッターは140字というこれまた強力な型のある媒体なので、手軽さは好きだがちょっと長めの文章を書きたいときにはあの字数制限が苦痛だ。

もっとも俺はいままでいくつかのブログをやってきてことごとく自然消滅させてしまったのが自分でも情けないのだが、最初から断っておくと、このブログははなから頻繁に更新しようとは思っていないし他の人が読んでおもしろい!となるような文章にしようと心がけることもない。だってこれは小説執筆の最中にこぼれ落ちた要素を型に嵌めぬままにだらだらと書くことを目指すから。自分の書きたいことをただ単純に素直に書いていきたいだけの気分であるから。そして何より、思い切り「小説的」でない文章を書く行為にこそ、他ならぬ小説に立ち向かうための手がかりが落ちているにちがいないと考えるから。