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也田貴彦blog

おもに文学やお笑いについて。

M-1グランプリ2016 感想

M-1という大会、それに漫才師への愛と敬意を込めた、自分なりの真摯な感想です。偉そうな知ったかぶりみたいなことばかり書いていますが、僕は決勝進出したしないに関わらず、プロの漫才師のすべてを激しく尊敬しています。

 

① アキナ

「大人びた5歳児」のキャラクターショーとも言えるが、台詞がよく練られていて演技もとてもうまい。山名はキザな役が得意だけれども、それが見事にハマったネタだ。彼らは今回のM-1では3回戦・準々決勝・準決勝と全てこのネタ一本で勝ち進んできているのだが、確かにそれを可能にするくらい完成度が高い。最終決戦に一歩及ばなかった原因を探すとすれば、笑いのトリガーの役目が、全面的に山名のキャラ・台詞に委任されてしまっている点だろうか。ツッコミのバリエーションによって生み出される笑い、あるいは掛け合いによってリアルタイムに捏ねあげられる笑いの上乗せがあれば、点数はさらに伸びたんじゃないかと思う。また達観したキャラクターの5歳児というのは設定として面白いが、心情に起伏がないのでプロットにうねりをもたせるのに苦労はするだろう。最後のあだ名の話で泣き出すところみたいな、起承転結でいう「転」を、もう少し手前から仕掛けていれば漫才は大きく動いたのかもしれない。しかしボンドのくだりは相当な破壊力!!

 

② カミナリ

いい意味で、数式的な漫才だと感じた。このネタに登場する全てのボケとツッコミを、矢印で繋げたり()や{}で囲ったりしながら、構図を分析したい欲求に駆られる。一つのボケ−ツッコミのなかに、入れ子式に別のボケ−ツッコミが嵌りこんでいる構造が粋だ。しかもそれぞれが一対一対応ではなく、すでにツッコみ終わったボケに対してのちほど違う角度から再びツッコんだりもするので、ひとボケで二度美味しいというか、ざるそばを食べ終わったつけ汁にそば湯を注いでまた味わうというような楽しみ方もできるのだ。

一つのボケを泳がせて泳がせて、あとから大きくツッコむという、この形式だけでいえば実はそこまで新しいわけではない。例えば去年のM-1でのジャルジャルのネタも、一つのボケをしばらく放置して後々ツッコむというシステムを効果的に組み込んでいた。また初期の銀シャリのネタにも、前半で鰻がひとしきりボケたうえで、後半で橋本がひとつひとつのボケを順番にツッコみ回収していくというものがある。カミナリの場合は、この「泳がせてからのツッコミ」のシステムにプラスして、上に書いたような図式的構造を巧みに持ち込んでいるところにこそ、本当の独自性があるのではないだろうか。

彼らのコンストラクチュアルな笑いのセンスは、そのままでも十分通用する魅力をもっているはずだが、頭を思い切りひっぱたいて大声でツッコむというアホっぽい演出で全体をあえてくるむことにより、クレバーさをうまく隠して敷居を下げてくれている。そういうプロの道化めいた姿勢も含めて、男前である。

 

 

③ 相席スタート

合コンを野球になぞらえたコント。アナウンサー役の山崎は女性を様々な球種に例えて実況する。バッターに扮した山添はその球を振るのか振らないのか…。コントの最中はツッコミ不在のダブルボケになっており、コントの額縁がしっかりしているので、個人的には好きな形態だ。

「かわいいのに元彼のタトゥー」→「急にコースが変わりましたね」、「結婚相手を見つけにきました」→「危険球、バッターが幹事を睨んでおります」、このあたりの発想は実にハイレベル。だからこそ、こういう小気味良い発想がもっともっと出てきてほしいなとつい期待してしまう。また打席が終わってから毎回アナウンサーから選手へのインタビューの場面が挟み込まれるが、あそこでどうもワンクッション空いてしまう傾向があり、幾分もったいなさを感じてしまった。

とはいえ男女コンビであることの必然性をもった良いネタだし、山崎は嫌味さのない微妙な色気を出せる唯一無二のキャラクターなので、さらに趣深い独自のネタを作り出してくれることと楽しみにしている。

 

④ 銀シャリ

僕はたまに橋本が、一本の骨をくわえ込んで離そうとしない貪欲な犬に見えることがある。ここでいう骨とはボケのことである。たったひとつのボケに、彼はよだれを垂らして食らいつき、あらゆる方向から舐め回して、まさに“ボケの髄までしゃぶる”とでもいうような格好なのだ。

例えば「♪ド〜は動物のド〜」というボケに対して、橋本はどれだけ多くの言葉を尽くしてツッコむことか。「それ、やったらあかんねん」「表紙をp1とカウントすな」「厚紙のとこやから」「そっから細分化されていくから、様々な動物へと」「『動物』ってアバウトやろ、来年の干支なんやったっけ、うん動物、言うか」「表紙やから、地主さんやからこれ、大本やからね」…この腕力たるや。ボケをずいぶん長く引っ張っているにもかかわらず、見る者にしつこさを感じさせずに、いやむしろ、しつこいなと思わせながらも笑わせてしまうというのは、”しゃべくりの豪腕”の最たるものだ。抜群のワードセンスもさることながら、実に気持ちよさそうに、本人がノリにノッて言葉を操っている雰囲気こそが、松本人志の言う「腹たつ」ほどの面白さを現出しているのである。

鰻の持ち味である可愛げのあるおとぼけが前半から快調で、しかも後半になるにつれ橋本のツッコミ力が爆発する仕組みになっていたこともあり、構成の面でも文句なしの、惚れ惚れするようなクオリティだった。

 

⑤ スリムクラブ

『アンダー18歳以下の天狗』。上沼恵美子の「無理があった、飛びすぎ」という評が、まあ確かに、という感じ(笑)。

2010年の彼らのネタのテーマは『以前一緒に生活していたと言い張る人』、『街で一回見ただけの人の葬式に来た人』だった。これらの設定には、真栄田の演じるキャラクターの得体の知れない不気味さ、どこか哀しい切実さ、ゆえに対処する内間の非常な困惑、のような要素が詰まっていた。ありえないシチュエーションのはずなのにどこかリアルな、ざらついた手触りが確かにあって、その手触りこそが面白みの核だったようにも思う。その点今回の天狗の設えは、いかんせん少し子供っぽいというか、不気味さ・切実さ・のっぴきならなさみたいな部分がちょっとずつ薄まっていて、そのぶん、戸惑う内間への観客の共感も、若干のトーンダウンを余儀なくされたというところだろうか。二人の会話のテンポがちょっと早くなっているのも気になった。

スリムクラブの漫才はそろそろ曲がり角に来ている頃と思う。「ばあちゃんを2WDに戻してください」「家族のトーナメント表」「おばあちゃんのところから線引いて、シードって書いてある」こういうずば抜けた発想力はやっぱり天才的なので、違ったフォーマットにまたもや驚くような形で自らの才能を盛り付けるスリムクラブを見てみたいと、つい贅沢な願望を抱いてしまう。

 

⑥ ハライチ

自分の意図がうまく伝わらないままゲームが先へ先へと進んでいってしまう、そのもどかしさと焦りを、さすが芸達者の澤部が非常にうまく間抜けに演じてくれる。ただ、どこまでいっても題材がゲームなので、さっきのスリムクラブの話ではないが、澤部の困惑に切実さがあらわれてはこない。僕個人の好みの話でしかないが、人間とゲームの間に生じるずれよりも、人間同士のディスコミュニケーションの方が面白いのになあと、どうしても思ってしまうのだ。現実世界の人対人は、ゲーム以上に融通も修正も効かない。だからこそおかしく、哀しく、ドラマチックなんじゃないだろうか。

何かに翻弄される役柄を担うと爆発的な面白さを発揮する澤部だ。岩井は無感情であることが多く、それはそれで好対照なのだが、もっと積極的に澤部を困らせ、もがかせてほしい! 今後岩井がなにかしらの方向へ突き抜け、澤部のキャラクターをなお一層活かすことができれば、泥臭い人間喜劇の傑作が出来上がるだろうことは想像に難くない。その「なにかしらの方向」が何なのかが問題なのだけれど。

 

⑦ スーパーマラドーナ

田中の一人芝居に対して武智が状況を解説しつつツッコむという、ここ1〜2年の彼らのネタではおなじみのフォーマット。虚弱そうな田中がサイコパス的な人格をみせるというギャップが怖くもあり面白く、安心して見ていられる。ただ去年の感想にも書いたのだが、武智の立ち位置が常に外野であるため、二人の間に掛け合いが生まれる機会がなく、そこが僕個人としては小腹のすくところだ。

伏線の張り方が実に巧みで、ネタ作り担当の武智はかなりの策士という印象。ボケのクオリティも高い。「四頭身」の天丼は、ちょっと過剰なきらいはあったが。オチをおざなりにする若手漫才師が多いなか、ネタをまるごとひっくり返すあの見事なオチには快哉を唱えたい。

 

⑧ さらば青春の光

「漫画みたいな話」があるなら、「能みたいな話」もあるんじゃないか。そこの発想一本勝負で最後まで突っ走る潔いネタ。一つのアイデアにしつこいほどこだわったネタ(ジャルジャルのコントが良い例)は、芸人さんの「やりたいことだけやりたい」感じ、笑いに対する純粋さ、芸術家的な傲慢さ、みたいなものがにじみ出ていて、僕は大好きだ。能、浄瑠璃、キャッツ、こういうバリエーションが他にもあといくつか、思わぬかたちで入ってくれば、なお一層楽しかっただろう。

ひとつの着想を最大限に活かすタイプのネタを構成する、この力においてさらば青春の光の右に出るコンビはいない。こっちが胃もたれするくらいに濃厚な核をもったネタ、面白がるポイントを蒸留したような、不純物のないネタを、これからも引き続き作っていってほしい。

 

⑨ 和牛

そもそも僕はコント漫才に対してはあまり良いイメージを持っていない。コントに入るならセンターマイクの前でなく最初からコントでやればいいやんと思ってしまうから…なのだが、とはいえこんなにハイクオリティなコント漫才を見せられたら、ぐうの音も出ないというのもまた正直なところだ。

ツッコミの川西の技術には舌を巻く。川西は完璧に女の子の役柄に入り込んでいて、ツッコミ台詞もそのキャラクターから逸脱しないままに繰り出される、ゆえに物語に破れ目がなく、観客は終始二人の世界の内側にかくまわれた状態でいられる。例えば水田が、サービスエリアでゴールドカードを差し出しつつ「2回払いで」とボケたとき、川西はただ唖然として助手席の水田を見つめる。川西は川西としての反応ではなく、本当にびっくりした女の子のリアルな反応をみせているのだ。観客のスムーズな共感は、爆笑を生むための有用な誘い水だ。単なる漫才の「ツッコミ」という役割を超えた川西の確固たる演技力こそ、和牛のオリジナリティの最も重要な要素のひとつだと僕は確信する。

個人的な好みでいうと、水田の嫌味なキャラクターがより濃厚に出ていた昨年のネタの方がアクが強くて好きだったのだが、今回彼らはフラットなキャラクター設定であるという弱さを、超弩級のテクニックで凌駕してしまった。昨年少し気になった、川西が水田へ返答する直前にワンテンポ空いてしまう感じも見事に払拭され、ワンシーンごとに最適なテンポで笑いを詰め合わせる工夫がなされていた。今回の決勝メンバーの中で最も、”研ぎ澄まされた”という形容が似合うコンビだと感じた。

 

 

最終決戦① スーパーマラドーナ

ネタが始まった瞬間、なるほどこのネタで来るのかと僕は唸った。これは今の彼らが最も得意としている「田中の一人芝居」形式のネタではない。1本目と同じ枠組みのネタを2本目でもやる場合、1本目を凌ぐ笑いの要素がしっかり備わっていれば爆発が期待できるが、逆にパターンが飽きられてしまって不発に終わる場合もある(2010のパンクブーブー、2015のジャルジャル)。スーパーマラドーナは後者に陥るのを回避するため、あえて全く異なる装いのネタをもってきた。これはきっと勇気のいる選択だったろう。

そして彼らの目論見は心憎いほどに奏功した。先ほど武智は策士だと書いたが、策士の面目躍如ともいえる英断だったわけだ。「俺が侍やるから、おまえチンピラやれ」。なんだ、ベタなコント漫才の入り方だな…そう油断させておいてから、「町娘やれ」「野次馬やれ」「ちょんまげやれ」「裏番組やれ」とどんどん設定が飛躍していく。この目まぐるしさは爽快だ。シチュエーションを固定してテンポを速めボケを羅列するというスタイルは、2000年代中盤のM-1のトレンドに戻ったかと一瞬思わされたが、田中がどの役をやっても走り出てきて斬られてしまうという繰り返しのアホさが効いている。

一人芝居にツッコむネタから二人の掛け合いで笑わせるネタに切り替えた戦略は、結果的には、音響をモノラルからステレオにスイッチするような目覚ましい効果を生んだ。優勝こそできなかったが、名軍師・武智の戦いっぷりに脱帽だ。あと関係ないが番組中、ネタ以外の部分で積極的に笑いをとりにいっていた田中の勇姿にも感動した。

 

最終決戦② 和牛

スーパーマラドーナとは逆に、1本目と同じフォーマットを選んだのが和牛だ。男女のデートという設定から、中盤で大きなトラブルが起こり、最後には水田が逆ギレするという流れまで、同じ鋳型で成形した漫才である。では肝心の中身はどうか。高級レストランのディナーで言えば、同じコースであっても季節ごとに料理の内容は変わっていく。「夏のコースのほうがおいしかったね…」では駄目なのだ。その点、僕の感覚で言うと、彼らの2本目のネタのクオリティは、1本目のそれを確実に上回っていた!「前に来た時のフィレ肉のローストもおいしかったけど、このサーロインのグリルはもっとおいしいね」というようなことで、観客はA5ランクの最高級和牛料理に舌鼓を打ったのである。

蛙に長々と喋りかけるシーン、射的の銃を構える上下迷彩服、指輪を巻いた蛙を探す二人の間抜けな動き(川西の「探せ探せ、指輪が逃げる」というフレーズ!)…秀逸なくだりの連発に、僕はひとりでテレビを見ながら思わず興奮して立ち上がってしまうほどだった。ただ、ラストで水田が逆ギレした後に、1本目でいうアスレチックの動きのような大展開が、さらに乗っかっていてほしいとつい期待してしまったのは僕だけじゃないはず。最後10秒が惜しかった! オチは「金魚すくい行ってくる」みたいに守りに入らず、さらに欲張って攻め込んだとしても、この日の和牛の勢いならすんなり受け入れられたと思うのだ。これは気鋭のストライカーに代表戦でのハットトリックを期待するような、身勝手なサポーターのいち要求にすぎないのだけれど、そんな期待を抱かせるほど彼らは突出した決定力をもっているということなのだ。

 

最終決戦③ 銀シャリ

出だしの「うんちくん」から、橋本のツッコミがもう、たまらない。「なんやその謎のゆるキャラは」「うんちくんでゆるキャラ、それはもう下痢やから」。

やっぱり要所要所で期待に応えてくれるのが彼だ。「『を言ってくれてありが』どこいってん。言葉の出血多量や」「その当時に七分丈という概念が存在してるやん」「(『語源ってそういうもんやから!』に対し)それ一本の命綱すごいな」。最後の鰻の「バリ、バリ、バロリ、ブロリ、ブロコリー、ブロッコリー」は、僕はまんまとツボに入ったのだが、客席はもっとウケてもよかったんじゃないか。

笑いのデシベル数でいえば、最終決戦はスーパーマラドーナや和牛には及ばなかったかもしれない。しかし銀シャリの持ち味が存分に発揮されたネタで、言葉のもつ面白さを懸命に発掘するような、二人のひたむきな姿勢が眩しい佳品だった。のちのインタビューで橋本はこんな風に語っている。『1本目のほうがボケ数も多いし、2本目はやってても難しいんですが、「しゃべくりで行くぞ!」っていう表明の漫才というか、2人でしゃべるというポリシーを詰め込んだ漫才だった。』(お笑いナタリー)漫才ファンからすると本当に嬉しい、男気に溢れた決意表明だ。漫才師としての矜持を見せつけ、しゃべくりという表現形態の牙城を全身全霊で守り抜いた二人の優勝を寿ぎたい。