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也田貴彦blog

おもに文学やお笑いについて。

小説に立ち向かうための手がかり

2年以上、同じ小説を書いている。

ほぼ全体像はできてきてあとは細部の推敲という状態だが、原稿用紙換算で約300枚、多いように見えるかもしれないが2年かかってこれだけというのはもちろんプロの作家ではお話にならない枚数である。

小説を書いていると、気をつけていてもどこかで「小説的」な文章を書いてしまう。本当は小説的な文章なんてものはない、どんな文章でも許されるのが小説であるはずなのだが、自分が読んできた数々の小説たちの牽引力があまりに強いので、どこかでよろめいて、既視感のある型らしきものに脚を踏み入れてしまう。

フィクション、ストーリー、プロット、これらの言葉は多かれ少なかれ型を孕んでいる。俺は書きたいアイデアがあればスマホにメモをするけれども、書きたいこと全部を小説に盛り込もうとすれば、フィクションだとかストーリーだとかプロットといった型の磁石が持つ引力に、全部背を向けて全力で逃げなければならない。しかしその引力が効かないほど遠くへ走り去ってしまうと、もはや自分の書く物はただの思いつきの羅列か支離滅裂な断片の貼り合わせになり、一個の作品としての強度をすっかり失ってしまう。俺が好きな小説は、フィクションやストーリーやプロットという「小説的」な磁力が発生している場所で、その磁力に背を向けながら必死に踏ん張っているような作品だし、俺自身もいずれはそういう小説を書ける人間になりたいと思っている。

そうやって磁場のなかで踏ん張る以上は、書きたいことであってもこの作品のなかにはちょっと盛り込めないなという要素がどうしてもこぼれ落ちてくるもので、それじゃあそれは次の作品で、となっても俺の場合は2年以上もひとつの作品だけを書いていてなんとなくそれが完成するまでは別の作品に移りたくないから、こぼれ落ちた書きたいことをいつになったら書けるのかという問題が出てくる。だいたい2年も経ったら書きたいことも別に書きたくなくなっている場合がほとんどではないか。それではあまりにもったいないということで、このたびブログを新たに始めることにした。ツイッターもやっているがツイッターは140字というこれまた強力な型のある媒体なので、手軽さは好きだがちょっと長めの文章を書きたいときにはあの字数制限が苦痛だ。

もっとも俺はいままでいくつかのブログをやってきてことごとく自然消滅させてしまったのが自分でも情けないのだが、最初から断っておくと、このブログははなから頻繁に更新しようとは思っていないし他の人が読んでおもしろい!となるような文章にしようと心がけることもない。だってこれは小説執筆の最中にこぼれ落ちた要素を型に嵌めぬままにだらだらと書くことを目指すから。自分の書きたいことをただ単純に素直に書いていきたいだけの気分であるから。そして何より、思い切り「小説的」でない文章を書く行為にこそ、他ならぬ小説に立ち向かうための手がかりが落ちているにちがいないと考えるから。