也田貴彦blog

おもに文学やお笑いについて。

オールタイム漫才ネタベスト10 ⑧流れ星「ひじ神様」

漫才の設定にもいろいろあるが、世にも特異なキャラクターなりシチュエーションなりのアイデアを思いつくことができれば、「デート」「医者」「美容院」など目新しさのない設定を持ち出すよりも当然アドバンテージを得られるのは事実だろう。笑い飯の「鳥人(とりじん)」などその最たるものだ。

「ひじ神様」もそうである。「♪腕と腕をつなぐ関節ひーじ!ひーじ!」という歌を思いついた時点で、相撲で言えばまわしを掴んだも同然だ。ただしもちろん、それだけで勝利が確定するわけではない。いかにキャラクター造形や設定に魅力があっても、構成に瑕疵があれば――かつてM-1グランプリで披露されたPOISON GIRL BANDの「鳥取と島根の違い」という素晴らしい着眼点のネタが、残念ながら展開の質において期待を上回れなかったように――あわれ、漫才の魔物にするりと身をかわされ土俵に手をついてしまうという場合も多い。

その点「ひじ神様」のネタでは、流れ星のふたりが終盤に強靭なスタミナと腕力を発揮している。最も勢いと重さのあるぶつかりをラスト1分間で見せてくれているのだ。前半はちゅうえいの唐突なギャグの割合が多いため、観客はそのアホさと散漫さにまんまと油断するわけだ。だが後半になるとひじ神様の祭を軸にして思いがけないサスペンスが展開し、びっくり仰天してしまうのである。この前半と後半のギャップの妙味にはこたえられない。わざと防御を緩め相手を誘い込んでおき、その倍の力で突如肉体を跳ね返し尻餅をつかせてしまうような心憎い戦術だ。演じる側としては首尾よく狙いがはまってさぞ気持ちいいことだろう。本当の相撲であれば客席で座布団が飛び交うところだ。

また「肘神様」という幼稚な設定に、こんな土着的・呪術的な味わいをもったストーリーを組み合わせるセンスも良い。かつて松本人志は「幼稚さに技術が加われば大きな笑いが生まれる」と語っていたが、まさにその実践版といえるネタだ。隣村のひざ神様まで登場するというオチの飛距離にも快哉を唱えたい。

 

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オールタイム漫才ネタベスト10 ⑦千鳥「ブラックジャック」

2003年のM-1グランプリで千鳥が初めて決勝の舞台に立って以来、僕は数多くの千鳥の漫才を見てきた。彼らのネタは良くも悪くも野蛮だ。初期(2009年ごろまで)の彼らのネタは特に荒削りなものが多かった。冒頭に提示する発想は奇抜ではあるものの、あえて大きく展開させず最後までひとつの発想を引っ張ったり繰り返したりするネタが多い。(「エロ虫取り」「泥棒田泥男」「百拓クイズ」「おぬし、たわし、できちゃったムエタイ」「展開を全部先に言う桃太郎」…)。瞬発力で勝負し、漫才を整理することなど拒否していたということだろう。オードブルからメインディッシュへと盛り上げるようなフルコースではない。木からもぎ取ったリンゴをそのまままるかじりさせるような原始的なもてなしだ。そのリンゴにはいつも独特の風味と新鮮さがあり、僕などは病みつきになってしまったのだが、いかんせんリンゴだけでは飽きが来るのも事実で、豪華な正餐を期待している来客たちの舌と腹を満足させるのは難しかった。

そこで2010年ごろから彼らはネタの方向性を変えてきた。具体的には、ごく普通の漫才コント風のシチュエーションを導入に用いることが多くなったのだ。「旅館」「寿司屋」「医者」「通販」。僕は一見して、それによって彼らの持ち味が薄まるのではないかと危惧した。しかしそうはならなかった。彼らのクセの強さや良い意味でのしつこさは、漫才コントという箱の中に一旦入れられても、その箱を握り拳で破き壊してしまうほど抜群の躍動感をもっていた。それに"一旦箱に入れられる"ことが後半の爆発を準備するための導火線となっているという点で、結果的に構成の面でも巧みになったのだ。これは一般的なコース料理の手順を踏みながらも要所要所に最高級のリンゴの味わいを効かせるというワザに他ならない。彼らは自分たちのこだわりとアクの強さをそのままに、テクニックとホスピタリティを身につけたのである。THE MANZAIで好評を博した「白米(はくべい)」などはその一番の成功例だろう。

このネタもそうだ。導入やシチュエーションに目新しさがあるわけではない。しかし大悟の気狂いめいた振る舞いによって漫才はどんどん正規のルートを外れていき、最後には我々は思いもよらぬ僻地へと連れて行かれることになる。野蛮さのボルテージをあらわす曲線の、なんと急勾配なことか。「前髪を切ってマントをとれ!」「エクレアみたいにかかってるだけですよ」などノブのツッコミも調子がいい。思いきりグロテスクで徹底的にナンセンス、破格の面白さだ。

 

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オールタイム漫才ネタベスト10 ⑥マヂカルラブリー「いじめっこ」

マヂカルラブリーの漫才は不穏だ。

ツカミからしてそうだ。ツカミというのは登場してセンターマイクの前に立った瞬間に観客を自分たちの世界へ引き込むための装置であり、「麒麟です」「お兄さんトレンディだね、うーんトレンディエンジェル」「小木です、矢作です、おぎやはぎですが何か問題でも」のように固定化した挨拶代わりのツカミを武器として持っているコンビも少なくない。マヂカルラブリーにもツカミはある。「村上です」「野田です」と普通に自分の名前をいうべきところで野田は普通には名乗らない。いわく、「僕です」「エントリーナンバー1番、野田クリスタルです」「その残像です」などなど。直後に「マヂカルラブリーです!」と声を揃えて言うところも決して揃わない。いびつだ。そして野田は無表情だ。見ている側としてはまず間違いなく、何か得体の知れない奴が出てきたなと思う。彼らのツカミは単に笑わせたり盛り上げたりするだけでなく、その後の数分間続くであろう不穏な漫才を予感させ、観客に期待感を植え付けるものであり、まさに導入としては理想的と言えるだろう。

彼らの漫才は始めから最後まで不穏であり続けることに成功しているが、その要因は大きく二つあると僕は考える。まず徹底して野田が”素”を見せないというところ。今回紹介するネタでは彼らがまともに会話する瞬間は一度としてない。特にコントに入っていない”繋ぎ”の部分でそれは顕著だ。ひとつのボケやシチュエーションが終わると、いったん素に戻って次のボケへの準備のために会話をするという漫才は世に多い。しかし野田はその繋ぎの部分ですらまともに返事をしない。『野田はおかしなことしか言わない』という構図が頑なまでに守られている。素の見えない変人は怖く、面白い。

そして今ひとつの要因は、繋ぎの部分での野田の唐突で不可解な言動に対して村上がツッコまないということだ。村上は漫才コントを進めるために野田にいろいろと指示を出すのだが、野田の発言がいちいちノイズとなって村上の言葉を妨害する。しかし村上はツッコまない。「サラリーマンになりたいよ」「門が開いた!」「太ってる!」「おはようございまーす」、これらに村上は何も対処しない。あるいはコント中においても、村上の乳房を触りまくる野田に対して何も言わない。野田を宙に浮かせる。不可解な言動が不可解なまま放置されるというのは気持ち悪く、観客の心はざわつき、じわじわとした笑いが生まれる。処理されない不気味な野田が漫才の中に沈殿し膨れあがっていくというのが彼らの魅力のひとつだ。

漫才師を香料に例えるなら、マヂカルラブリーは不穏さの香煙がきっちりと最後まで持続する、刺激的で危険な香料だ。とっつきやすいようにあえて香りと効力を薄くして観客にすり寄ろうとするコンビもいるが、別にリラックスするために漫才を見るわけではない。だから僕はついついマヂカルラブリーに手を伸ばし、その煙をくゆらせ中枢神経の興奮と心拍の亢進を楽しむのである。

 

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オールタイム漫才ネタベスト10 ⑤笑い飯「音真似」

少々乱暴に言えば、2001年から10年続いたM-1グランプリ笑い飯のための大会であった。彼らは2002年にいわゆる"ダブルボケ"漫才で決勝の舞台に登場し、2003年に「奈良県立歴史民俗博物館」のネタで旋風を巻き起こしたが、惜しくも優勝は逃した。この2003年の印象があまりに鮮烈であったため、その後毎回決勝進出してくる笑い飯に対する、お客さんの、審査員の、視聴者の期待はいやが上にも高まった。だからこそ生半可なネタだと「あの2003年のネタを超えてはいない」「笑い飯はこんなものではない」という意識が働いてしまう。そんなハードルを超えようと奮闘する彼らの2004年から2010年までのM-1でのネタ作りの変遷の歴史についても詳細な解説を加えたいところだが、今回は割愛する。

 

笑い飯のスタイルは"ダブルボケ"と言い習わされているが、その言葉だけでは彼らの特異性をじゅうぶんに指摘できているとはいえない。彼らがダブルボケを手段として体現していたのは"漫才の大喜利化"である。例えば「俺が医者やるからおまえ患者やって」で始まるような漫才コントの場合、医者と患者の会話で物語はどんどん前に進んでいく。笑い飯も「俺が○○やるからおまえ××やって」という導入で始めることは多い。しかし彼らは物語を進めない。テーマやシチュエーションを固定しそこでボケられるだけボケ倒す。焦ってストーリーを紡ごうと先を急ぐほかの漫才師たちを尻目に、「これが楽しいんだからここにいればいいのに」と同じ場所に留まって遊びの限りを尽くす。それが笑い飯だ。言い換えればこれは大喜利である。ひとつのお題に対しどんどん答えを出すというのを、フリップの代わりに自らの演技でやっているのだ。革新的というだけでなく、単純にボケの手数が増えるため、短い枠の中では実利的・経済的でもある。

 

この笑い飯のスタイルがスマッシュヒットしたために、2000年代中期には彼らのやり口を模倣する若手漫才師が急増した。このブログの以前の記事で麒麟の「小説風漫才」も他の芸人による模倣にさらされたと書いたが、笑い飯はその比ではなく、若手たちの追従の勢いたるや目を覆いたくなるほどだった。真似をするコンビたちは二重の意味で悲惨である。ひとつには模倣のためにみすみす自分たちの個性をなくしているということ。もうひとつには、こういった大喜利形式のネタではボケがあくまで羅列的・箇条書き的なものになるため、ネタをひとつの物語として構成する力が養われないということ。結局笑い飯の手法をものにできるのは笑い飯だけなのである。真似をするにしても、笑い飯のアホくさくオリジナリティ溢れる題材選びを見習ってほしいものである。「頭が鳥で身体は人間の英国紳士風の男」「サンタとケンタウルスの混ざった怪物」「ガムの妖精」「ハッピーバースデーの歌の歌いだしのタイミングが分からない」…

 

さて前置きが長くなってしまったが、今回のオールタイムベストには彼らのなかではあまり知られていないであろうネタをチョイスした。鳥羽で聞こえてくるいろいろな動物の鳴き声や花火、汽笛の音を口で真似する。しかし普通にやってもうまくはいかない、「プロは手を使うんや!」しかし手を使ったせいで余計下手になる…これを繰り返す。声や音の種類を取っ替え引っ替えして、延々繰り返す。後半になると手で変顔をつくって笑わせようというどうしようもないおふざけも入ってくる。しつこく、幼稚で、彼ら自身が楽しんでいるというのがよく伝わってくる。なおかつ後半へのアホさのクレッシェンドもきちんと計算されている。彼らの良さが詰まった、数あるネタの中でも出色の作品だと思っている。

 

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オールタイム漫才ネタベスト10 ④ブラックマヨネーズ「引っ越し」

ブラックマヨネーズの漫才を見るたびに、良い漫才師は「ボケ」「ツッコミ」などという形式的な役割分担を超えてくるのだなと思い知らされる。彼らのネタは後半になるともうどっちがボケでどっちがツッコミなのか分からなくなることが多い。それもそのはず、彼らの役割はボケとツッコミではなくあくまで「吉田」と「小杉」なのである。吉田のあの神経質で考えすぎなキャラクターは、決して無理やり演じられているものではなく、本人の自然なパーソナリティーを培養したものなのだ。だからこそ言葉にいきいきとした力があり、リアリティがあり、それに対する小杉の苛立ちにも共感できる。

 

このネタでは「引っ越しをしたい」と言う吉田に小杉がいろいろな場所を提案する。「駅の近く」「新築マンション」「マンションの最上階」。しかしいずれも吉田の神経質な屁理屈によって拒絶されてしまう。ついに小杉はしびれをきらし叫ぶ。「実家に住めや!」。吉田は「俺一人暮らしの話してるんやろ」とツッコむ。いや、ツッコむというよりは正す。吉田は純粋に理想的な場所へ引っ越しをしたいだけなのだから。そこから無茶苦茶な論理を展開していくのは吉田でなく小杉だ。苛立ちのピークに達した小杉がやけくそになって”実家での一人暮らし”を提案し、吉田はそれに振り回され困惑する…。ここに至ると、ボケとかツッコミとかいうシステムがいかに表面的で脆弱なものであるかがよくわかるだろう。吉田の心配と小杉の苛立ちの応酬によるスパークは、書き割り的役割分担からの脱却と生身の人間としての躍動によるものだ。純文学という言葉に倣えば、これこそ”純漫才”である。

 

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オールタイム漫才ネタベスト10 ③囲碁将棋「隣の部屋」

自分たちオリジナルのパターン(形式)をもちたがる漫才コンビは多い。良い鋳型を発明すれば、あとはそこにボケやシチュエーションを流し込めばいくつでもネタは出来上がる。コンビの名詞代わりにもなるし、お客さんもそれを求めてネタを見るだろうからwin-winだ。しかし固定化した鋳型にボケを流し込んでいくような作業を果たしてクリエイティブと言えるかどうか、僕はそこが少し気にかかる。

囲碁将棋はパターンを作らない。どれも趣向が違う。とりあえず設定と役割分担を決めてボケをあてはめていくという、現代の多数の漫才のベースとなっている”漫才コント”のパターンすら禁じている。毎回ゼロから、自分たちの面白がるポイントとなる核を膨らませてネタを作っているのが歴然と分かるのだ。現役の若手漫才師の中で”フリースタイル”という評価が最も似合うのは彼らであり、ネタのバリエーションの豊富さで言うともっと評価されていい漫才師だとかねがね僕は思っている。センターマイクに立つたびに今回はどんな手法でくるのか、福袋を開けるときのような期待感を体験させてくれる数少ないコンビだ。

このネタでは後半に大きな仕掛けがひとつ用意されている。それによってストーリーの方向が変わるだけでなく、ボケの比重も文田から根建のほうへ移行している。囲碁将棋においてはボケとツッコミという役割すらも流動的だ。大笑いするというよりは感心するというのに近くなってしまうかもしれないが、こんなダイナミックな構成をもつ漫才はそうそう見ることはできない。

囲碁将棋のネタをあまり見たことがないという人は、このネタ以外にもどんどん彼らのネタを見てほしい。その球種の多さに驚くのは僕だけではないはずだ。

 

↓ネタはこの動画の44分50秒頃から見られます

200901010020_ぐるナイ おもしろ荘 レア芸人親出し生放送SP ▽レギュラーへの道SPオードリージョイマンナイツ小島ギース続々M-1コンビ親子共演アブない超レアTV初 - Pideo 動画検索

M-1グランプリ2015 感想

最終決戦の感想も含めて書く。コンビ名の横の数字は僕の個人的な点数。最終決戦3組を選ぶとすればメイプル超合金、和牛、銀シャリ。改めて読み返すと偉そうに理論をぶっていて厚顔不遜も甚だしく、自分で自分に「おまえは何様のつもりだ!」と言いたくなるのだが…。漫才が好きないち素人の戯言でしかないので、悪しからず。

 

メイプル超合金 90

イロモノに見せかけて一個一個のボケがすごくしっかりしている。「平均体重底上げ担当大臣」「確定申告」「話の通じる相手じゃないんだから」「Wi-Fi飛んでるな」「こいつ…ボケそうだぞ?」。最後の「ぶばばぶばばぶばば」も笑ってしまう。確かにネタの軸は弱いし首がすわっていない感は否めない。しかし2002年の「暴れん坊将軍、ばばばーん!!」の笑い飯のような、向こう見ずさゆえの突破力みたいなものが大いに伝わってきて、僕は好きだった。出演順が違えば点はもっと伸びたかもしれない。今後に期待!!

 

②馬鹿よ貴方は 85

終盤の「大丈夫」連呼の大冒険は好きだが、とはいえ採点を要するコンテストで有利かどうかとなると、まあ難しいだろう。これは構造や技術を否定するパフォーマンスであり、音楽で言うならパンク。コンテストで1位を目指すというような上品な姿勢はパンクロッカーには似合わない。

だから彼らはM-1で優勝したいと思うのならば、不本意かもしれないがハートとテクニックの間で折り合いを付けていかなければならないだろう。ボケの平井の個性は際立っているが、喜怒哀楽という武器を全部捨てているためかなり不利な戦いをしている。平井がハイテンションになるときはあるのか?どんなときに笑うのか?取り乱すほど悲しむときは?何に対して怒りを感じるのか?…今のかたちのままではこういった展開の要素は全く使えない。彼らとしてもそんなことは重々承知であえてそれを外している、それがパンクの魂だということなのではあろうが。とはいえ2010年に同じく薄気味悪くコミュニケーションのできないキャラクターで勝負していたスリムクラブのネタには感情の起伏やドラマ性があった、そのぶん彼らのほうがコンテストという制度へ意識が向いており"巧み"であったというのは否定できない。

あとツッコミの弱さにどうしてもひっかかってしまう…

 

スーパーマラドーナ 89

準々決勝と同じネタだが、細部に変更が加えられブラッシュアップされており少々感動すらした。伏線を張ったボケや天丼ボケが多い(即死やったん?、パンティずっとかぶってた、奥歯にうんこ)が、一回目のボケのときから全部きっちり面白いし、二回目の出し方も漫才の流れに沿っておりあざとさがなくて上手い。落ち武者をテーマに掲げておきながら落ち武者が一瞬しか登場しないというのも◎。彼らの今まで見た彼らのネタの中で一番構成的で、ボケに破壊力もあり練られたネタだなと思ったが、唯一好みでないのは、田中の一人芝居に武智が解説しつつツッコむという形式。武智が終始、外野にいるというのが物足りない。漫才なのだから二人の掛け合いによる爆発が見たい!と思う僕は頭が硬いのだろうか。

 

④和牛 92

細かいところにこだわりの見えるネタだと思った。

ボケの水田のキャラクターはコントに入る前とあとでほぼ変わらず、水田本人がこういう性格の人なのかな、素のままで喋っているんじゃないかなと見る者に思わせるリアリティがある。一方、川西はコントに入ってしまうと一度も素に戻らない。ずっと役柄に入り込んで演技を継続させる。ボケでこういうタイプは多いが、ツッコミがそうだというのは珍しい。素のままで喋っている水田と、女役をきっちり演じきる川西。二人ともボケ・ツッコミの形式的な役割を越え、水田としてあるいは女役として必然的な言葉や反応を選んでいる。これは漫才とコントの境界を曖昧にして独自の空気感を生み出す高度な演出だと僕は見た。思えば導入の部分でも「俺○○やりたいからおまえ××やって」のような安易なフレーズを使わず丁寧な接続をしており、二人は極めて滑らかにコントのシチュエーションに移行している。そのときから彼らの奇術は始まっていたのだ。

ただ戦略面で言うと川西がリアクションするときに毎回ワンテンポ待つのがもったいなかった。最後に水田が「好きな人の涙を見るのはつらい」と優しさを見せる展開も、もっと笑いに繋げられたと思う。後半もっと畳み掛けていれば…

 

ジャルジャル 87

まず僕はジャルジャルのコントが大好きなのだが、それは彼ら自身が何を面白がっているのかというポイントが前面に押し出されているためである。彼らのコントには余計な枷が見えない。マニュアル的な展開を拒絶し、ボケ・ツッコミの役割分担さえ度外視する。2人の嗜好の核心を裸に近い状態で見せてくれる。

対してジャルジャルのこの漫才はどうか。僕の印象ではかなりシステマチックだ。コントで見るような2人の自由さ、いい意味での傲慢さ、馬鹿馬鹿しさは鳴りを潜めている。確かに形式は笑い飯のそれとはまた違ったタイプのダブルボケ漫才であり、紛れもない発明として拍手を送るべきものではある。しかしこのよく計算された脚本、4分に詰め込んだジャブの数、分かりやすいボケとツッコミ…ジャルジャルらしくない。彼らが自分たちの面白がるポイントよりも、賞レースで勝つための作戦を優先して作っているという感じがする。いや、それでしっかりウケているのだから何が悪いと言われれば黙るしかないのだが…いちファンとしてはもっとやんちゃなジャルジャルが見たいというそれだけのことなのだ。何より彼らの台詞回しがいかにも暗記した脚本を読んでいるという雰囲気なのが寂しい。

彼らのコントは破天荒に見えるが細部までかっちり決めてアドリブはほとんど入れない、という話を聞いたことがある。この真面目さは彼らのコントに面白みの強固な核があるからこそ活きてくる。今回の漫才ではその面白みの核心をすっ飛ばして真面目さが先んじてしまったという感じがした。だから中川家礼二の「まず大きな軸を作ってほしい」という手厳しい評価には僕も共感せざるをえなかった。

 

銀シャリ 90

圧倒的にツッコミのフレーズがどのコンビよりもよく練られている。「麹のお化けに取り付かれてんのか」「やり口がボンジョビやねん、グループ名ボンジョビでボーカルもボンジョビやから」「なんで株式会社野菜からセロリだけベンチャー起こしてんねん」「おまえティファールか、急に怒りの沸点たたき出してくるやんけ」。いつも橋本の影に隠れがちな鰻も1本目のネタでは存在感があり、コンビ芸ここにありという感じ。パンクブーブー佐藤の評のように、題材にオリジナリティーがあれば言うことなしだが。最終決戦は1本目に比べちょっと散漫で橋本の言葉選びもパワーダウンな感じがしたが、僕は消去法で銀シャリに1票だった。

 

⑦ハライチ 80

ハライチの代名詞ともいえるノリボケ漫才をやめて一般的なコント漫才のかたちで勝負してきた。しかし彼らにどこまで勝算があったのだろう。形式上の個性を捨てた代わりにどんな技を見せてくれるのかと期待したが、これといったものが見つけられなかった。誘拐というシチュエーションもさんざんやられているし。岩井の"いかれた犯罪者"感は面白く、誘拐した子に贅沢な待遇を与えるくだりも面白いのだが、もっと工夫がないと…ハライチはこんな程度じゃない…と歯がゆい思いがした。

ハライチは早い段階でノリボケ漫才というオリジナルなパターンを見つけ、今まではある程度までそれが功を奏してきたし僕も好きだったのだが、それをやめたあとどうするかというのは相当な悩みどころだろう。初期のすかし漫才をやめたあと新たなかたちを模索し続けているとろサーモンの面影が浮かぶ…。

 

タイムマシーン3号  83

「やってることジョイマンじゃない?」の時点で僕は引いてしまった。端的に言って卑怯だ。ジョイマンぽいと思うならそのネタはやってほしくないし、自分からあらかじめそう言ってしまうことで批判をかわそうとしているようにしか思えない。そもそも言葉を太らせるという道筋がある時点でジョイマンのネタとは趣きを異にしているわけなのだから、こんなエクスキューズなど使う必要はない。

さて「太らせる」「痩せさせる」という縛りでダジャレを連発していくというこのネタだが、あいにく内容自体も僕の好みではなかった。言葉の創造ではなく言葉の収集に留まっていると思った。テーマを決めたうえで面白くなりそうな言葉の組み合わせを探してきて並び替えたのだと容易に想像がつく。例えば単独ライブで何本もネタを披露するなかの一本としてこれが入っているのなら大歓迎だが、自分たちの1年の(M-1ラストチャンスだった彼らにとっては15年のキャリア全体の?)集大成を見せるこの場でこのネタとなるとどうだろう。漫才師としてのクリエイティビティと目先の客席のウケを天秤にかけ、後者をとりにいったという感じ。その通りウケ具合は全コンビのなかで最も爆発的だったので目論みとしては当たったのだろうが、それにもかかわらず順位は4位に落ち着いてしまった。これが彼らの読み違えたところだ。M-1爆笑オンエアバトルとは違う。審査員は客席のウケだけを見るわけではないのだ。彼らの他のネタでもっと味わい深いものを知っているだけに、残念でならない。

ただネタの密度とテンポの良さ、後半でツッコミにもキャラを付与して対決させる構成には感心した。

 

トレンディエンジェル  82

これほどまでに"アンチM-1"的な漫才がM-1を制したという現象は興味深い。

言わずもがなだがM-1グランプリは漫才の創造性や技術力を玄人の審査員が判定するコンテストであり、どんなネタであれ一番ウケたコンビがすなわち優勝だ!などという単純なものではない。M-1で高評価を受ける漫才の傾向をあくまで僕の印象でざっくり表現してみると…"革新性・独自性の伴う練り抜かれたネタを確かな技術力で演じる漫才"…とでもなるだろうか。少なくとも2010年まではそうだった。

トレンディエンジェルのネタは極めて敷居が低く大衆性が高い。際立った発想や確かな構成力・テクニックで魅せる漫才というよりは、飛びぬけて愉快なキャラクターが外見いじりやギャグを連発させつつ楽しく演じるパフォーマンスだといえる。どちらが芸としてより優れているかという議論はさて置き、少なくともM-1の傾向に鑑みれば後者は決勝に残るタイプではない。実際彼らは準決勝でもトップクラスのウケだったのに決勝には進めなかったというが、さもありなんである。

だが今回の敗者復活戦の審査は視聴者投票だった!これは大衆ウケのすさまじい彼らには間違いなく有利であり、結果見事に勝ち上がることができた。彼らが敗者復活枠でネタを披露しているとき、僕はM-1グランプリが今まさにトレンディエンジェルに乗っ取られているという感覚があった。少し大げさに言えば、過去10年間の歴史のなかで醸成されてきたM-1での漫才の価値基準が、二人によって食いつぶされていくのを見る思いだった。1組めのメイプル超合金と2組めの馬鹿よ貴方はのネタが終わったとき、サンドウィッチマン富澤が「M-1ってこんなのでしたっけ!?」と言い笑いをとっていたが、僕はトレンディエンジェルのネタのときに似たようなことを感じたのだ。M-1ってこんなネタも許されるんだっけ!?

というわけで周知の通り最終決戦でもウケにウケて優勝した。あいにく僕の肌には合わないが、とはいえこの優勝によって若手漫才界に確実に新たなダイナミズムが与えられたわけで、その意義は大きい。彼らは競技化・専門化される漫才に背を向け、小難しいことは抜きにしてただ楽しめればそれでいいじゃないかと声高に叫んでいる。そう考えてみれば彼らを極めて真摯な反動主義の活動家だと評することも、できるのかもしれない。